どんな条件の前でも、私が私でいる鍛錬

暮らしの中で積み重ねていることがあります。

朝5時。まだ真っ暗なうちに起きて
鉄瓶に火をかけ、白湯を飲む。
神棚に挨拶をする。

そこから6時までの間、
自分を整える時間を過ごす。

古典フラの練習をして
声や体の動きに出る
生き方の癖、私の今を
観察してみる。

6時になったら
土鍋に火をかけ、ごはんを炊く。
その間に身支度をして
朝食の準備。

7時に子ども達が起きるまでの2時間を
ルーティンのように繰り返す。

そんな暮らしを通して身についたことの1つは
無条件に、たった今の私を積み重ねてゆく
ということ。

朝5時に起きるって。
例えば今だと、
古民家の朝は、吐く息が白くなるほど寒かったり。
1歳の娘が夜中に何度も起きる日があれば、
おなかの赤ちゃんの胎動で目が覚める日もあって。

生活するのに必ずしも必要ではない2時間を
“今日はやらなくてもいいかぁ”って、
やらないための言い訳や迷いなんて、
いくらでも出てきたりする。

でも。
思考を入れずに、ただ繰り返してみる。

そうしたら、
条件が必要だった自分から
少しずつ自由になりました。

何かをする時に、条件が必要だった私。
条件が揃っていないと、動けなかった私。
言い訳をしていた私。

完璧じゃないと認められなかった私。
自分にも相手にも何かにも、
求めるものがあった私。

○○だから、
やらない。できない。
○○だったら、
やろう、できる。

そんな、条件の上に成り立つ
自分やパートナーシップや繋がりから
朝が来る度に解放されてゆく。

どんな日でも
どんな状態でも。
完璧じゃなくても
何かがあっても、なくても。

たった今の私をそのままに
1つ1つ積み重ねてみる。

どんな条件の前でも
私が私でいる鍛錬。

白湯を飲んで温まること。
自分の神様や
自分の心と体と繋がる時間を持つこと。
丁寧にごはんを炊いて料理を作って、
穏やかな気持ちで食事をとること。

“生活する”ためには必要じゃなかった時間が
ジワジワ、ジワジワと
私の根っこを育んでいます。