自分の真ん中を歩くこと①

出産したら、相方くんと別居しようと企んでました。

そこに至るまで、いろいろ葛藤もあったのだけど。
出産という体験を通して
なんだかストンと
怖がっていたものへの力みが抜けて。

3人目の出産を終えて退院をした日。
迎えにきた相方くんに
「別居しよう!」と告げました。

いろいろツッコミどころ満載のようだけど(笑)

不仲になったとか離婚したいとかじゃなく。
(そもそも入籍の手続きというのをしてないから
離婚もなにもないのだけど。)

お互いのフィールドを制限せず
どこまでも自由に広がっていきたくて。

家族だから同じ家に住まなくちゃとか
子どもが小さいから一緒に子育てしなきゃとか

家族だから、夫だから、妻だから、
パパだから、ママだからetc

そこにある(ように思える)役割を全うすべき
なんて

本当は制限なんてないところに
わざわざ枠を創って、
ここが居場所だよって
お互いをそこに留めてしまうのは

自分を閉ざすようで
相手も閉ざすようで不自然で。

約束があるから
信じられるのでもなく
責任があるから
パートナーでいるのでもなく

ただ、お互いが自分を生きて
ただ、好きだから会いたくなって。

シンプルに余計なものを削ぎ落としてみたら
大切なのは、ただそれだけだった。

お互いが自分を生きるのに
どちらか一方に固定されてしまうと動きにくい。
だから「それぞれで暮らそうよ。」

わたしの壁の壊し方には相方くんも
毎度ビックリするようだけど(笑)

大切だからって、
ぎゅっと握りしめていた手を開いてみたら、
握りしめていたときよりも、もっとずっと心地いい。



と思っていたら、これはキッカケでしかなくて、
えいっ!と飛び出してみたら、
もっともっと大きな空を自由に飛んでいけるみたい。

自分の思考の中で思い描く景色には限りがあって。

いろんな要らないもの手放してみると、
思ってもみない景色が見れたりする。