ハナシノツヅキ

akari no arika(取手市椚木にある古民家シェアスペース)で活動している仲間を紹介しています。

ありさちゃん(Izumi Enn Works 知念ありささん)が
akari no arika で壁画を描き始めたのは、
私が古民家のリノベーションを本格的に始めたころ。

「しづかさん!私、壁に絵を描きたい!」

そう言って、akari no arikaを訪ねてきてくれた。

◆タイトルは『ハナシノツヅキ』にしようと思う。

ありさちゃんが訪ねてきれくれた時、
ちょうど私のおなかの中には赤ちゃんがいて。

「壁に、しづかさんとあづさ(私の娘)の絵を描きたいと思ってるんだ。」
そう言ってくれたありさちゃんに、
もう1人、おなかの中に赤ちゃんがいることや、
ここに至るまでのいろんなことを、
ぜんぶオープンに伝えてみた。

なぜ、この古民家に住んでいるのか。
この場所を、どんな場所にしたいと思っているのか。
父が亡くなったすぐ後に、あづさが生まれたことや、
離婚した時のこと、流産した時のこと。
飲食店をオープンして1年で潰しちゃった時のこと。

そんな全部を ありさちゃんに話したのは、
もしかしたら ありさちゃんだったら、
私の全部を汲み取って、
言葉じゃない何かで表現してくれるんじゃないか・・・
そんなふうに思っていたからなのかもしれない。

そうやって壁画の制作が進んでいった ある日、
ありさちゃんからメールが届いた。

「壁画のタイトル、
『ハナシノツヅキ』にしようと思う!」

そのタイトルを目にした瞬間、
私の中で何かがスーっと溶けていくような、
ふわっと満たされていくような感覚がした。

なんだかまるで、
私の今までの全部を丸っと包んでくれたような
そんな言葉に聞こえた。

過ぎ去った過去は、そこで終わりなわけじゃなくて、
ちゃんと今に続いていて残っている。

嬉しかったことも悲しかったことも
幸せだったことも痛かったことも
全部を切り捨てなくていいんだよ。って、

その全部を持ったまま
「話の続きをしよう。」
「これからを生きていこう。」
そんなふうに言ってくれてるように聞こえた。

なんて優しいタイトルなんだろう。
なんて深くて温かい人なんだろう。

そんなことを、このタイトルに感じていた。

(最初の構想段階。この時、インスピレーションで描いてくれた下書きに、たくさんのハナシノツヅキが詰まっていた。)

◆直感の根底には、今までの全部が根ざしてる

そんなタイトルをつけてくれたありさちゃんは、
感じるチカラや、それを表現するチカラが、
ものすごいのだと思う。

今回、こんなふうにありさちゃんの作品を
文章と写真に残して人に伝えたいと思ったのは、
その過程の中に
初めて知る、たくさんの感動があったから。

たとえば。
アーティストが作品に込めようとする思いがあって、
伝えようとする何かがあって。

それを、どこまでどう表現するのか。
全部を表現しきらないで、相手に委ねる余白によって生まれるものや、
語りきらないことで繋がっていく『ハナシノツヅキ』
そこまで含めてが、1つの作品なんだということを知ったし、

1つの作品が、感覚の積み重ねで創られていることも
今回の壁画を通してリアルに体感した。

ありさ「わぁ、なんか、ここ、こんなんになったー!」
私 「ん?作戦通り(計画通り)なんじゃないの?」
ありさ「や、感覚でやってるから計画なんてしてないよ。」
私「そうなのー!!!???」

そんな驚きの連続だった。

作品を創る時って、ここはこうして、
あそこはあぁしてって、緻密に考えてやってるんだと思ってた。

でもそうじゃなくて、「ここは、こうしたい!」って、
その場の生の、
「こうしたい!」って感覚の積み重ねで創られているんだね。

「私、積み重ねるって、好きなんだよねー。」

ありさちゃんは、もともと、
点で絵を描いたり、鋲に糸をかけて表現をするアーティスト。


「最初からコレを描こう!って決めてるんじゃなくて、
点を描き続けているうちに、
それがふとした時に、アートになったりする。
その感覚が好きで。」



そんな話を聞きながら、
ありさちゃんの絵に視点を移してみると、
感覚や直感で描いて表に現れたものの裏には、
ありさちゃんがこれまでに観てきたもの、聴いてきたもの、感じてきたもの
その全てが積み重なっていて、そこには、
ありさちゃんの哲学が、いっぱい詰まっているように思えた。

「私、積み重ねることって、すごく大切なことだと思うんだ。」

「よく、学生が”描けなくなることが怖い”って言うんだけど
私は、描けなくなることより
描かなくなることのほうがコワイなって思う。」

直感の根底には、
描くことを止めずに積み重ねてきた
ありさちゃんの今までが、きちんと根ざしている。

「頭の中にあるものをアウトプットすることの怖さはあるけど、
表に現すことを積み重ねることで、
私というものが創られていくと思うんだよね。」

ありさちゃんの言葉は、イチイチ、1つ1つ、
私の心の琴線に触れていく。

「アーティストって、決める人ってことなんだよね。」

「artists make choices.
何かを表現する時に、無限にある選択肢の中から、
どれをチョイスして伝えていくか。
その決定の連続で作品が創られている。
だからアーティストは、”決定をしていく人”なんだ。

伝えたいことがあって、それをどんなチョイスで伝えていくか、
やみくもじゃなく意志を持って、意図を持って選んでいく。
その選択の積み重ねが、
その人のオリジナルの個性を創っていくんだと思う。」

もう、何から何まで、カッコいい。降参です(笑)

(今までの全部が積み重なっていく。
命の、地球の、大きな大きな砂時計みたい。)

◆だから私は、”ハナシノツヅキ”がしたいんだ。

そんな、カッコいいありさちゃん。
なんだけど、

「もともと私はコンプレックスがいっぱいで、
自分の声も顔も好きじゃないし、絵だって上手なわけじゃない。
ただ好きをずっと積み重ねてきただけで。
でも、作品を通して人と繋がることができたり、
人と話すキッカケができたりする。
だから私は、いつも”ハナシノツヅキ”がしたくて
描き続けてるんだと思う。」

そんな話をしてくれたことがある。

この絵は、ありさちゃんにとっても、
これまでの全部と、これから、なんだ。

なんだかそれが、私はとても嬉しかった。

この作品を通して、ありさちゃんから
たくさんの”ハナシノツヅキ”を聞くことができたのだけど、

ありさちゃんには
“アーティスト・知念ありさ”としての軸となる思想があって、
それは、アーティストとしてだけじゃなく、
ひとりの人として、人を惹きつける魅力なんだと私は思う。

この作品を通して、そんなありさちゃんの魅力が
いろんな人に伝わって欲しい。

私は、ありさちゃんの生き方が心から大好きで、
心から尊敬しています。本当に。

◆絡まった糸はゴミじゃない。

「でもさ、この絵が描けたのは、
私だけじゃなくて、しづかさんも自分をオープンにして
いろんな話をしてくれたからだよ。」

そういえば、そう。
この作品の脇で、
私も本当にたくさんの”ハナシノツヅキ”を
ありさちゃんに聞いてもらっていた。

「しづかさんの話を聞いて、
命が繋がるってことを表現したいと思ったし、
この絡まってる糸とかも、しづかさんの話を聞いて、
使いたいって思ったんだ。」

「この糸、絡まっちゃってて、
普通だったら作品には使えないような糸なんだけど。
しづかさんは失敗も、すごくポジティブに捉えているんだなって思って。
失敗は失敗じゃないし、絡まった糸もゴミじゃない。
そこには別の価値や美しさがあるってことを表現したいって思ったんだ。
転ぶことも、絡まることも、怖いことじゃないんだよね。」

うんうん。本当にそう思う。

人からは失敗のように見える出来事も、
それは汚点でも悪でも
捨ててしまいたいような過去でもなくて、
財産だと思う。すごく大切な、宝物だと思う。

そんなところまで感じ取ってくれるありさちゃんの感覚。
やっぱり、素敵だよね。

「学生の時に、あなたの作品は扱いづらいって言われたことがあって。
グループ毎のテーマに分かれて作品を制作したことがあったんだけどね、
“あなたたちの作品は、とっても面白いけど、
沈みかけた船みたいだ。”って(笑)」

そう言って、そのグループの作品の話をしてくれたのだけど、
それがすごく面白くて。

「踊りが下手なのに、踊ることを作品にした子がいてね。
シャイな自分を、できないことを通して表現したかったんだって。」
「他にも、船が大好きだから、
船にあるロープの結び方をひたすら絵に書いてる子がいたり、
自分の体を作品の一部にしている子がいたり。
そんなメンバーのひとりが、私なの(笑)」

でも私は、
なんか感動したよ。
アーティストって、命を燃やして生きているんだなぁって。

それに、扱いづらいって、私はすごく素敵なことだと思う。

誰かにとって扱いやすいようにコントロールされた自分でいるよりも、
ムラがあって均一じゃない、統制されてない自分を
楽しんで生きていきたいじゃない?

そんな扱いづらい自分を、これからも思いっきり生きていこう!
たまに誰かに多大なる迷惑もかけながら(笑)

◆自分の内側を表に現すって、尊いことだよね。

そもそも、私がありさちゃんの生き方を素敵だなって思ったのは、
ここで壁画を描き始める少し前。(だいぶ前?)

Facebookで ありさちゃんが
こんな投稿をあげていた。

「以前は、アーティストが作品をお金にすることは、
卑しいことだと思ってた。
だけど今は、それはとても尊いことだと思っている。」

その投稿を見て、
この人と、もっと話をしてみたいと思っていた。

自分の内側にあるものを表に現して、
そこに価値を見出すのは人それぞれで、
だけどそこに、自分で値段をつけて売っていく。

それって、最初は勇気がいることだよねって思う。

内側にあるものを表に現すだけでも、怖くてドキドキするし、
そこで躊躇して自分を表現することを諦めてしまう人もいる。

自分の内側を表に現しながら生きるということは、
淋しさや恐れを丸っと受け入れていくような
自分との闘いの側面もあって。

だけどそれは、
穏やかで静かな、深い喜びでもあるのだと私は思う。
そして、とても尊いことだと、私も思う。

だからこそ、ありさちゃんの生き方にすごく共感をしたし、
体当たりで表現するありさちゃんを、素敵だなと思ってる。

「アーティストって名乗らないほうが楽かもしれないなって
時々思ったりもするんだけど。
でも、そこで楽して生きていきたいわけじゃないから。」

自分を生きるって、
ただワガママに好き勝手やって生きているわけじゃなくて
いろんなことを引き受けながら、それでも
私は私を表現したいんだ!って、
私は私を生きたいんだ!って、
そんなふうにして生きている。

「私たちの命って、ほんの一部なんだよね。
私たちがいて、親がいて、子供がいて、
それだってほんの一部で前後があって。

だけど、私たちがいるから繋がっている。

いつか、子どもたちが大人になって、
ママになって、おばあちゃんになって、
その時に、この絵のことを話すことがあるかもしれない。
私たちのことを話すことがあるかもしれない。

知らない場所で、このハナシノツヅキが続いていたら、素敵だよね。」

いのちは一瞬の煌めきで、
だけど、ずっとずっと繋がっている。

だからこそ、
自分を現して、自分を生きて、
自分の光を放っていたい。

まだまだハナシたいことは いっぱいあるのだけれど。
ありさちゃんの美学に倣って、全部は語らない。

この絵を見て、この文章を見て、
あなたの中で、このハナシノツヅキが繋がっていきますように。

いつかどこかで、あなたと一緒に
ハナシノツヅキができますように。



(長女・あづさ(左)と次女・月(中央)と私(右)、
そして夜空には父の命日の星たち(作成中)が広がっている。)

この作品は
古民家シェアスペースakari no arikaの
壁に描かれています。

ぜひ、あなたの目と心で、観に来てください。

制作の様子を追った動画を、こちらからご覧いただけます。