壊れたあとに残るもの

娘のパパが住む気仙沼の海にある
龍のカタチをした松の木。



世の中一般的にあるカタチとは
ちょっと違うかもしれないけど、

娘のパパと私たちは別々に暮らしていて
だけど私にとっても娘にとっても彼は、
今も大事な家族で、大切な人です。

あの頃(離婚した頃)の私は
ぜんぜん自分を生きられなくて

良い奥さんでいること
良いママであること
尽くすこと
捧げること
耐えること

そうやってがんばって取り繕って、
自分が我慢したのと同じ分だけ
相手にも求めるものが当たり前にあって。

それが本当だと思ってた。

離婚をしたあとも
まだまだぜんぜん
自分を生きることができなくて

自分を形どるものが欲しくて
繕うことに必死で。
(飲食店をオープン→1年で廃業。)

取り繕っていたものぜんぶが
壊れてなくなって

本当は、苦しい
本当は、できない
本当は、こうしたい

そんな自分の心の中の本当を
ぽつりぽつりと
彼に話し始めた頃から

私も彼も現実も
少しずつ変わってきたように思う。

私が自分を偽っていたから
彼の本当が見えなくて

本当の私は
良い奥さんでも
良いママでもなく
ただの私で

良い旦那さんでも
良いパパでもない
そのままの彼は、
私をただそのまま受けとめてくれる
どこまでも大きくて純粋な
強くて優しい人だった。

離婚して。
私には別のパートナーがいて、
別の子どももいる今だけど。

それでも
毎年、お盆とお正月には
子ども達をつれて
彼の実家に帰省する。

お義母さん(正確には元お義母さん)は
ふかふかのお布団と
美味しいごはんで迎えてくれて、
お義父さん(正確には元お義父さん)は
大好きな日本酒を用意して
大きな笑顔で待っていてくれる。

彼は
血の繋がりなんて関係なく
子ども達みんなを
可愛い可愛いとハグしてくれて、

もうすぐ3人目が産まれる私に
元気な赤ちゃんを産んでね、
あなたも体を大事にしてね、と
安産のお守りをくれたりする。

帰り際、夕陽が見たいと言った私を
彼が海まで連れて行ってくれた。

波の音1つしない大きくて静かな海。

遠く離れているけど
ぜんぶを受けとめて包んでくれる
その海が、
私は心地よくて大好きで

彼の住むその場所は、
今でも私の大切な場所なんだと
あらためて思う。

9年前の今日、
その海を襲った17メートルを越える大津波。

嵐のような時間のあとに
1本だけ残った松の木は、

すべてを受け入れて、
龍の姿となって静かに海を見守っていた。

壊れて終わり。
離れて終わり。
失って終わり。
じゃなくて

そこには、
得るもの、学ぶもの、残るものがあって、

そして、そのあとに
静かに積み重なっていくものが
あるのだと思う。

そしたら私は、
取り繕った偽物じゃなく
自然に生まれる本当を
静かにゆっくり
積み重ねていきたいなと思うのです。