自分の足で立つことと自己が消えゆくこと。

出産を前にした今。

自分の足で立つことと
自己が消えゆくこと。

そんな対極にあることが
私のテーマになっています。

お仕事の場でも
100人近い人の前でお話をさせてもらう機会があったり。

出産の場でも
パートナーの立ち会いなしの出産にチャレンジする流れにあったり。

お仕事の場では
創業支援の現場責任者をさせてもらっているけど、
尊敬する代表の後を追いかけて
“その人ありき”で進んできた今まででした。

出産では、
痛みも苦しみも全部、
パートナーに一緒に引き受けて欲しくて、
“あなたと一緒に産みたい”という前回でした。

そこから。
その人がいなくても、
パートナーがいなくても、

目の前に100人の人がいても、
出産の場に別の誰かがいたとしても
(出産のドキュメンタリー映画の撮影が入る予定)、

誰がいても、誰がいなくても、
自分のままである。

そんな生き方へ変容してゆく今。

対極にある自己の消失もまた、
同時に現れてくる課題なのだと感じています。

誰かに伝えたい大切なことがあって。
それがそのまま真っ直ぐ届いて欲しいと願うなら、
私の中にある
緊張や不安や恐れに囚われず、
ただただ、伝わること、繋がることに
集中していたい。

同じように。
赤ちゃんがこの世界の入り口として
私から産まれようとしているのなら、
痛みや恐れや戸惑いに翻弄されず、
ただただ、この世界への入り口を開くことに
集中していたい。

そこに余計なものを乗せたり留めたりしないで、
ただ私を通過して、
大切なものが純度の高いまま
伝わったり繋がったり生み出されていくように。

自我のない
まっさらなパイプのような私でありたい。

そんなふうに思っている今です(^-^)

<<2022年5月 追記>>

この投稿から2年半近くが経ったいま思うのは、

「自我のない
まっさらなパイプのような私でありたい。」と願う私は
自我の確立に一生懸命で
自己実現に向かって精一杯生きていたのだなと。

そこをやりきってやりきって、
振り返ってみたらいつの間にか自己は溶け、
全部の中の一部である自分を知ったのでした。

ふと、こんな投稿をしていたなと思い出し
懐かしい気持ちで自分をみています^^