本当だけになっていく時間

今という時間は、
世の中ぜんぶが“いつも通り“じゃない中で
自分の本当が明らかになっていく

そんな時間を過ごしているように思います。

わたしは今、
どこに居たいんだろう?
何をしたいんだろう?
どう在りたいんだろう?

そんなことを問いかけながら過ごした数週間。
(自分の真ん中を歩くこと②)

自分の真ん中を歩いていれば
絶対に大丈夫だと思える安心感があって。

それは、頭での理解とか
言葉での理解じゃなくて、
ただただ、それを積み重ねてきた私の中にある感覚で。

こんな”不安定”なように見える今に
とっても”不安定”なように見える生き方だけど。

わたしの体感が
”絶対に大丈夫”って言っているのです。



3人目が産まれて、相方くんと別居しようと決意して。
在りたいように在ろうと思っていたら。

別居ではなく
ずっと夢に思い描いていた場所で、
新しい暮らしが始まることになりました。

いつか海がある暮らしがしたいと思ってた。
海が好きで自然が好きで
きれいな景色に心が洗われる。

でもそれは、日常ではなくて
お休みの日の旅先や
日常の合間にある特別な時間だと思ってた。

だけど、そうしたいという気持ちが
心の中にあるのなら、
いつかじゃなくて今、
そうしたらいいだけだった。

海から登る朝日を眺めて、
波の音を聞きながら料理して、
夕日に染まる海を見ながら
静かな時間をすごして、
大好きな人たちと星空の下で
ごはんを食べたい。

そんな暮らしを
特別な時間だと決めつけていたのは
私だった。

日常は1つの場所にだけあると思っていたし、
新しい場所に踏み出すのには
今ある暮らしを
手放さなくちゃいけないと思ってた。

今のおうち。
今の職場。
今の保育園や学校。
今ある繋がり。

当たり前に必要だと思っていたもの。
なくてはならないと思っていたもの。

でも本当は
必要じゃなかったものもあって。
自分を安心させるための材料にしていたり
動かないことへの言い訳にしていたり。

これがあるから大丈夫だよね。
これがあるから、それ以外はできないよね。
要らないよね。って。

自分をたくさん、ごまかしていたことに気がついた。

そしてやっぱり、その中には
それでも本当に
好きなもの
居たい場所
大切な繋がりもあって。

それぞれに境界線をつけて、
どちらかにしなくちゃいけないと思ってたけど。

いろんなことが立ち止まっている
今という時間の中で
自分の本当が見えてきた。

ないものをあるとしなくていいし
あるものをないとしなくていい。

お産のときに感じたこと
そのままだった。
(ぜんぶあるということ)

そうしたら
スルスルと現実が動いていきました。

今の暮らしと海のある暮らし。
2つの場所を行き交う暮らし。

いつか思い描いてた夢が
いつの間にか現実と混ざり合っていく。

動けない今は
動かせなかったものが動くとき。



自分の心地良いように流れていたら、
こんなとこに流れ着きました。

目の前が海と空しかないおうち。

波の音を聞いて、
海と一緒に呼吸して
ただの自分に還る場所。